始まり

呉竹鮨の創設者、佐藤源造は越後長岡在の人で明治初年単身上京し、八丁堀の「松乃寿司」に弟子入り、明治二十三年頃、浜町河岸に「寿司源」を開店、その後関西ずしにて修行し、寿司源特有の寿司を創造しました。
当時では珍しい今流にいえば〝アイディア寿司〟で一躍魚河岸の名物となり、当時の五摂家に献上、各宮様方より激賞をいただき、宮中の「呉竹」の名を賜りそれ以降寿司源の寿司を「呉竹鮨」と呼び、暖簾も呉竹鮨と改めました。

初代呉竹鮨店主の調理技術は業界、仲間から高く評価されるに至りその包丁さばきは「松源流呉竹鮨」と賞されました。その後、浜町本店は戦災で消失してしまいましたが、暖簾と共に松源流の流儀は、新三呉竹鮨(東京新宿三丁目)の店主平林槙江(茅野市出身)によって受け継がれ益々隆盛をきわめ、昭和三十八年、新宿から東中野に移りました。

歩み

当呉竹鮨は、昭和三十四年十二月、新三呉竹鮨より戦後第一番目の暖簾分けをうけ、茅野市仲町三丁目に開店。
昭和四十二年五月現在地(仲町一丁目)に「すし・天ぷら呉竹」と暖簾を改めて拡張移転しました。

平成三年十二月一日旧店舗を全面改築するとともに、新三呉竹鮨の閉店により、暖簾相続の命を受け、呉竹鮨として現在に至っている次第であります。

初代、矢野政雄が平成二十四年七月に法人化し、二代目、矢野哲也が代表に就任いたしました。

平成二十七年七月に改装・メニュー改定を行い、これからも地域の皆様に喜んでいただける、「江戸前鮨」をご提供していきます。

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